よもへい先生の雑記帳

おもに教育たまに音楽

学級崩壊はなぜ起きるのか

G.Wが終わり,また学校に子どもたちが戻ってきた。

学級開きから続く一ヶ月が終わり,気を張っていた担任の先生たちもようやく一息入れるタイミングかも知れない。

しかし気を抜いてはいけない。5月から6月というのは,学級の雰囲気が弛緩しやすい時期だ。

一般的にも6月はいじめなどのトラブルが起こりやすい時期だという調査報告も出ている。5月に運動会などの行事が予定されていない学校は,5月の段階から崩れることもある。気をつけた方がいい。

 

学級崩壊はなぜ起きるのか?

 

このテーマは,ここ数年学級経営に取り組む中で,私の頭の中から離れない。

それは,数年前に私自身が学級の「荒れ」を経験したからだ。

それ以来,学級崩壊の原因,そして改善策についてずっと考え続けている。


正直,それまでは学級崩壊などは「他人事」だった。

「◯◯先生の学級が荒れている」と聞いても,その先生が子どもとの関係をきちんとつくれなかっだからではないかと,勝手に思っていた。

まさか自分の学級にそのようなことが起きようとは,考えもしなかった。

 

「学級経営大全」赤坂真二(明治図書)という本に以下のような記述がある。

尾木直樹(1999)は,学級崩壊を次のように定義しました。「小学校において,授業中,立ち歩きや私語,自己中心的な行動をとる児童によって,学級全体の授業が成立しない現象」。尾木の主張の注目すべき点は,中・高・大における教育困難な現象や荒れと,学級崩壊を明確に区別していることです。尾木は,学級崩壊を,「1人担任制」における教師の指導力の解体として捉えたのです。

この定義を当てはめるとすると,数年前の私の学級は一時的ではあるのせよ「崩壊していた」ということになるだろう。


・授業中に数人の子が立ち歩いていた。

・私語がやまず,授業が思うように進まなかった。


授業のときにこのような状況になるから,休み時間にもトラブルが頻発していた。


・男子がフロアで相撲を取り,一人が骨折した。

・ふざけていたAがBを蹴り,怪我を負わせた。


などなど,このようなトラブルが起きると,はっきり言って授業どころではなくなってしまう。



幸いにもこの時には,周囲のサポートもあり,個と集団に対する学級リカバリーの対策を施し続けた結果,何とか持ち直すことができた。

しかし,しこりが残ったのは事実だ。

数人の子は,最後まで私に対する不信感を持ったままだったと思う。


無理もないことだろう。

一時的ではあるにせよ,学級の秩序を乱してしまった責任は,当然ながら学級担任が負わなければならないし,そのような担任を信頼し続けることができない子がいても不思議ではないのだ。


どんな形であるにせよ,「学級崩壊」は起こすべきではない。


では,なぜ学級崩壊は起きてしまうのか?

自身の経験と既に紹介した赤坂氏の著書をもとに紐解いてみようと思う。


1.社会の変化に学校がついていけなかった

社会要因は大きいと思う。

赤坂氏も,大学進学率が高まったことに加え,情報化の発展により,以前は教師だけが持っていた情報が一般的に知られるようになったことを大きな要因として挙げている。

親にとっては,「先生の言うことを聞いておきなさい」が常識ではなくなった。

また,昨今ではインターネットの普及と情報公開が一般化したため,教育委員会による発表も,教師が知るタイミングと記者発表が同時になり,一般の人とのタイムラグがなくなってしまった。

このような社会の変化により,もはや学校は「特別な場所」ではなくなってしまった。


要するに,以前はある程度教師の「言うことを聞いて」くれていた子どもと保護者は,今では,そうであるとは限らないということだ。


2.コミュニケーション力の低下

以下は「学級経営大全」からの引用である。

子どもたちが,あるテーマについて討論しています。小学校の高学年くらいの児童が,10人くらいで輪になって楽しそうにしゃべっています。その様子を,別室でモニターを通して,母親たちが見ています。(中略)

一人の女の子が,「お母さんの言うことは,よくわからないときもあるし,ちょっと古いんです」というような発言をしました。そのとき,カメラがその子のお母さんをとらえました。きれいな身なりの30代半ばのように見えました。お母さんは,拳を握りしめて(これは,単なるポーズでしたが),冗談っぽく「殺す!」と言ったのです。勿論,回りのお母さんたちは爆笑でした。録画でしたから編集した方も「おいしい場面」として放映したのだと思いますが・・・。 

この部分を読んだ時,私には思い当たる節があった。

崩壊状態にあった学級で,特に立ち歩きなどが多かった子どもがいた。その子は給食でも好き嫌いが多く,嫌いな物はよく残していた。

私がその子に

「家のご飯で出てきたものを残したら,お家の人は何も言わないの?」

と聞くと,その子はこう答えた。

「言われますよ,殺すぞって。」

その子は教室でも当たり前のように「死ね」「殺す」という言葉を友達に対して使っていた。

勿論,他の子も皆そうだったわけではない。しかし影響力の強い子だったので,取り巻きの数人も不適切な言葉を使うようになっていった。


家庭的な要因もあるが,最近ではインターネット上の不適切な言葉(インターネットスラング)による影響も見逃せない。

子どもたちは親や大人の眼を盗んで,容易にインターネットの世界でつながることができる。そこで,上のような言葉が飛び交っているのだ。


3.ルールの欠如

いじめや様々なトラブルから子どもたちを守るべきルールがきちんと機能していない状態の時,学級は崩れやすい。

例えば

「人の悪口は言わない」

「授業中に人の邪魔になるような発言や行動はしない」

などのルールだ。

このようなルールは,小学校高学年ともなれば,言わなくても分かりそうなものだと思われないだろうか。

実は私もそう思っていた。

「当たり前のこと」だから,わざわざ教えなくても伝わると思っていた。それが落とし穴だった。


上のようなルールはその意義をきちんと教えて,何度も指導しないと分からない実態の子どもたちもいるということだ。  


いや,訂正しよう。

「分からない」わけではない。

頭では分かっているが,不適切な発言や行動をとることに慣れてしまっているのだ。

教師から注意されるのにも慣れているし,自分のわがままを通すことにもためらいを感じない子も中にはいる。

このような子どもの指導にはエネルギーを使ったし,辛抱強く続けていかないといけなかった。

はじめにルールを明確に伝え,覚悟をもって指導をしていなかったことが,後々まで響いたということだ。




私自身の経験と赤坂氏の見解を重ね合わせると,上に書いたような要因があったのではないかと思う。

それにしても,今思い出してみても,当時のしんどさはなかなか言い表せない種類のものだった。

まるで出口の見えないトンネルに入り込んだ気分だった。


最近になって,ようやく冷静に振り返ることができるようになってきた。



では,どうすれば崩壊を防ぐことができたのか?


いくつか答えが出かかっているものもある。

今年度も学級経営をする中で,時間をかけながら答えを見つけていきたいと思います。


令和時代のOJTについて考える

平成12年度  12.5倍

平成19年度  4.5倍

令和2年度  2.7倍


なんの数字だと思いますか?



答えは,採用試験の倍率です。

小学校教員採用試験の,全国自治体平均倍率。

倍率の低かった自治体を挙げていくと,

福岡県  1.6倍

北九州市 1.5倍

佐賀県  1.4倍

長崎県  1.4倍

九州の各自治体の倍率低下が顕著だ。


上の全国平均の推移に目を移すと,平成12年度から約20年で,10倍程度倍率が下がっていることになる。

ちなみに平成19年度は私が採用試験を受けた年だが,この当時から比べても,職場の様子は様変わりした。


私が入った頃は中堅(30代〜40代)世代が少なく,50代以上のベテラン先生が多かった。比率にするとベテラン2:中堅1:若手2といったところ。

中堅世代は就職氷河期世代にあたり,平成12年採用組と重なる。

50代以上は,いわゆる団塊の世代だ。


現在はどうなっているか。

私の職場では,ベテラン0.5:中堅1.5:若手3.0くらいになった。

担任は50代が一人,40代も一人。あとは30代以下。30代前半で学年主任を任されるケースも珍しくなくなった。

この10年で団塊の世代が退職し,若手が大量採用され,「血の入れ替え」が行われているのだ。


現場としては当然,若手の育成が急務となってくる。

私自身も昨年から初任者の校内指導員という立場になり,併せて若手育成の仕事も拝命している。


そこで,今回は職場のOJT(On the Job Training)について,これまで実践してきたことを基に紹介していきたい。


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1.授業実践を通して

①授業の計画

育成の鍵となるのは,何を置いても授業実践だろう。

授業は人から観てもらわないことには上達しない。

人に観てもらう授業は指導案を書く。どんな目標か,手だてか,計画を時系列でまとめておく。

多くの初任者は指導案の書き方を大学で学んでくるが,形式は学校や教育機関によって様々なので,その場に合った形式で指導を行う。


②授業を観る

初任者の授業を観せてもらう。

授業を観るときには,「発問・指示は明瞭か」「黒板の字は見やすいか」などポイント項目を整理したチェック表を作成しておき,それに基づいて評価を行う。

併せて,必ずTC記録を取る。教師の発問・指示や子どもの発言をメモしておくのだ。これが後の指導に生きる。

もう一つ。授業を観せてもらうときの立ち位置は重要だ。

公開授業などで参観者の様子を見ていると,多くの先生が教室入り口付近か,教室後方に集まっているが,ベストポジションは教室側面の窓際(できるだけ前の方)だ。

このポジションからだと,まず子どもたちの表情が見える。教師の発問や資料提示への反応がダイレクトに伝わってくる。さらに教師の動作や表情も近くから観察できる。

私は公開授業があると,真っ先にこのポジションを目指して移動するが,たまに先客がいると「お主,できるな」と思ってしまう(笑)


③課題を共有する

授業後に,初任者と授業についての協議を行う。

私が心がけていることは,できるだけ初任者自身が課題だと感じる部分についての指導を中心にすることだ。

自分が若手の頃もそうだっだが,自分自身が課題だと意識しないことには,なかなか改善しようという気にはならない。

初任者に,子どもの反応はどうだったかなどの質問をしつつ対話形式で指導を進めていく。

対話の中で課題に気づかせるのが大切だ。



2.研修を通して

人は,誰かに教えようとするときに,もっとも大きな学びを得ることができるという。

そこで,若手同士のミニ研修の場をつくることにした。これは昨年度から実施している。

二学期に「スキルアップ月間」と銘打ち,国語,社会,算数など各教科を勉強している先生を講師にして15分のミニ研修をしてもらうという取り組みだ。

講師をお願いする先生には一学期から打診しておけば,自身の授業実践の中からネタを探せる。

初任者の先生には初任者研修の一環として参加してもらうようにし,他の先生も自由に参加できるようにした。

初任者からしたら,先輩の技を学べるし,講師に選ばれた先生からすると,人に教えるために自分も勉強するから,互いにメリットがある。


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これら一連の授業実践,研修の様子を「OJT通信」という形で配付し,職場内に取り組みを周知していく。


若手の先生も頑張っていることをもっと広めていきたい。


採用率低下で教員の質も低下しているとか言われるが,私が関わっている若手の先生は優秀な人ばかりだ。そして,皆とても熱心。

私自身が彼ら彼女らから学ぶことも本当に多い。


新年度がスタートしたばかりだ。

今年度もともに成長していけたらと思う。

オンラインでは得られないもの

昨日,昼の情報番組を見ていたら,こんな触れ込みである「ツアー」が紹介されていた。

 
「世界5カ国を1時間半で巡る!お得なオンラインツアー!」
 
本来なら5カ国周遊するのに◯日間を要するところを,たったの1時間半で周ることが出来るという。
リポーターと一緒にサファリで動物を見たり,有名な建築物を見たり…。全てオンライン上で,安価に体験できるという。
このツアーには100人以上が参加したそうだ。
 
コロナ禍で海外旅行も控えなくてはならないから,旅行会社も工夫して,利用者に楽しんだもらおうとしているのだろう。。
その努力には頭が下がるし,できることに精一杯取り組んでいる姿には敬意を表するべきだと思う。
 
しかし。
しかしだ。
こんなこと旅行社の方は百も承知だし,「分かってるけど,どうしようもないんだよ」とお叱りを受けそうだが,やっぱり実際にその場所に行ってみないことには,旅の本当のよさは味わえない。分かりきったことだけど。
 
いくらリポーターがキリンや象を見てはしゃいでも,それは画面の向こうのことで,自分の目の前で起きていることではないのだから。
 
オンラインは,結局は擬似体験でしかないのだ。
 
 
以前,教材で小石原焼を扱ったことを記事にしたことがある。

 yomohei.hatenablog.com

 このときには,社会科見学で子どもたちを現地に連れて行った。

窯元の家を訪れ,実際にろくろを回して成形する職人の姿を見た。

壁際にうず高く積まれた作品の数々。釜場の粘土の匂いや,電動ろくろの音,触らせてもらった焼き物の感触。職人の方のお話。

見たことだけではない。聴覚,嗅覚,触覚を総動員したものが記憶として残る。

これら全てが学びにつながるのだと思う。

 

職人の手仕事だけを動画で見ることもできるが,その背景にあるものまでは見えないし,感じることもできない。

それだけでは,記憶にも残りにくい。

 

 

音楽だってそうだ。

昨今はライブ配信が主流になっているが,PC画面上で観るライブと,会場で体感するライブは全然違う。

 

ライブ配信は,映像と音を自分の部屋で快適に体感できる。

 

一方,ライブ会場はそんなに快適ではない。

野外だと雨が降ることもあるし,逆に天候がよすぎると熱中症にかかるリスクもある。

15年前に野外でレッチリを観た時には,雨の直後で地面は水田状態だった。周りは人でごった返して,蒸し暑くて汗はひっきりなしに流れてくる。

それでも,一曲めの「Can't stop」のイントロがフリーのベースから鳴り響いた瞬間の興奮は忘れられないし,地鳴りのような歓声も耳に残っている。

ライブ配信では,あのときの感動はきっと味わえないと思う。

 

たかが「歌」だが,「歌」そのものを切り取っただけの体験と,その他諸々の雑多なものも含めた総体としての体験とでは,残り方は全然違うものだ。

 

 

いまは,コロナ禍でどうしようもないところもある。

私は社会科が好きなので,コロナ以前はよく取材に出かけていたし,出来る限り子どもたちも現地に連れて行ったりゲストティーチャーを呼んだりして直接見聞きする体験をさせようと努めてきた。

ところが昨年以降,取材は電話かリモート,社会科見学は軒並み中止,ゲストティーチャーもよくてオンライン通話という状態になってしまった。


子どもに体験させられないこともだが,自分自身が実際に見聞きできない,体感できないこともよろしくない。

自身で体験しないことには,なかなか感動するまで至らない。本当の意味で教材に惚れ込むところまでいかないのだ。


今揃えることができる材料で,出来ることをするしかないのだけれども。

例えば教材でも準備できるものは,できるだけ「本物」に触れさせたい。

本物に勝るものはないと思うのだ。やっぱり。

「BLUE GIANT」とジャズ

今週のお題「おうち時間2021」

 10日ほど前,家の前のコンビニで買い物をしていたら,ふと書籍棚に見覚えのある絵を見つけた。

石塚真一の漫画「BLUE GIANT EXPLORER2巻」だ。

いくすぷろーらあ?

BLUE GIANT SHPREME」なら知ってる。確か8巻くらいまでは読んでる。その後は知らない。

EXPLORER2巻」を手にとって見ると,「アメリカ編」とある。

主人公の大はアメリカに渡ったのか。

「SHPREME」はヨーロッパを舞台にしていた。どうやら私が知らぬ間に「SHPREME」は完結して,「EXPLORER」というアメリカ編が始まったらしい。

 

私はコンビニの書籍棚の前で沈思黙考した。

時間にして5分ほど腕組をして突っ立ったまま考えた。

ここで「EXPLORER2巻」を買うべきか。

もし買ってしまえば,必然的に「SHPREME」の残り全巻と「EXPLORER1巻」まで買ってしまわねば話が分からないだろう。

ここで2巻だけを買っても,すぐには読めない。

Amazonで残りの本を購入しても3日ほどはかかるだろう。

しかしここでこの本を買わねば,「BLUE GIANT」とは今後縁がなくなる気もする。

 

悩んだ末,購入することに決めた。

そして,コンビニからの帰り道,Amazonで検索してみると,「BLUE GIANT SHPREME」は11巻で完結していた。

8巻までは持っていたので,9~11巻を買った。併せて,「EXPLORER1巻」も買った。

 ということで,GW前半は「BLUE GIANT SHPREME」読破から始まった。

 

ここで簡単に解説しておくと,「BLUE GIANT」はジャズに魅せられた少年・宮本大がテナーサックスを始め,ピアノ・雪祈,ドラム・玉田らの仲間と「JASS」というトリオを結成。

ジャズの魅力を紹介するとともに,三人の成長を追っていく物語だが,最終巻の凄まじすぎる急展開を経て,大は単身ヨーロッパへ渡ることを決意する。

 

BLUE GIANT SHPREME」は大が一人でドイツの地に降り立った場面から始まる。

たった一人でのドイツ生活から始まり,個性豊かで凄腕のメンバーとカルテットを結成。最初はバラバラだった4人の絆が徐々に深まり,演奏の凄みが増して行く様子は必見だ。


BLUE GIANT EXPLORER」はその続編になる。

ヨーロッパでの音楽活動に区切りをつけた大が,今度はアメリカに舞台を移して奮闘する・・という話だと思う。まだ読んでいないが。

 

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私はもともとロックばかり聴いていたが,ジャズも20代前半からスタンダードナンバーは少しばかり聴いていた。

「ジャズは高尚な音楽」という意識があった。

同世代にジャズを聴いている者がいなかったので,何となくジャズを聴いているというとかっこいいな…との見栄も少なからずあったのではないかと思う。

当時勤務していた職場の近くに古い中古レコード屋があり,足繁く通っていた。ちょうどそこに,昔のジャズCDが安値で売られていたのだ。

 

マイルズ・デイビス「いつか王子様が」

ジョン・コルトレーン「Blue Train」

ザ・クルセイダース「at their best」

ビル・エヴァンス・トリオ「Waltz For Debby」

 

などはその頃購入した。

特にテナーサックス奏者のアルバムがお気に入りだった。

 

 

ブルー・トレイン

ブルー・トレイン

 

 コルトレーンの「Blue Train」に収録されている2曲目「Moments Notice」の終盤,長く紡いできた散文的なメロディラインから一転,コルトレーンのソロが響き渡り,演奏がピシっと引き締まる場面がある。最もグルーヴを感じるところだ。ここにくるとつい,主旋律を口ずさんでしまう。

BLUE GIANT」の話の中で主人公の大がガールフレンドにコルトレーンのCDを聴かせているとき,恐らくこの場面の説明をして

「ここがいいんだよ!」

と熱弁を奮っているのには笑ってしまった。膝を打って,俺も同感だよ!と思った。

 

 

 

処女航海(SHM-CD)

処女航海(SHM-CD)

 

 これも「BLUE GIANT」の作中だが,大が川岸でサックスの練習をしていると,川に浮かんでいた屋形船で酒を飲んでいた親父が

「兄ちゃん!ハービー・ハンコックの『処女航海』!」

と叫んでリクエストをするシーンがあった。

大はそのリクエストに応えて吹き,親父は「いいねえ。」とニンマリするという場面だ。

 

このくだりを読んで「処女航海」を買った。

なるほど,屋形船の親父が聴きたくなるのも納得の名盤だった。

 

 

というわけで,このGWは「BLUE GIANT」とジャズ鑑賞・・・

・・・とかっこよく書きたいところだが,現実は,うちの子どもたちが聴きたい「なんとかレンジャー」とか「仮面ライダー」とかの主題歌CDとのせめぎ合いだ。


 マイルズやコルトレーンはキラメイジャーに押され気味。


でも,ジャズって,iTunesでイヤホンで聴くのはなんか違う気がするのだ。

やっぱりオーディオで聴くものだよなあ。

 

 

名人の授業から学ぶ

「社会科授業づくりの技術」(教育出版)という本がある。

社会科の名人と言われた有田和正先生の著書だ。

もう十年以上前に買った本だが,この連休で再び読み返している。

時間を置いて読み返すと,以前にはなかった気付きがたくさん出てくるのは,良書である証拠だろう。

 

この本には,有田先生が飛び込みで行った授業のTC記録(教師の発問・指示と児童の発言を記録したもの)がそのまま記載されている。

記載されていたのは平成7年5月に滋賀県のとある小学校で行われた5年生社会科の授業だ。

「食生活の変化」という単元名がついていた。これは,5年生で学ぶ産業(農業,水産業,工業など)の学習全ての導入だ。

有田先生はこの授業の冒頭,資料として提示したグラフの読み方を子どもたちに尋ねている。

 

この資料は何を表していると思いますか? 

この発問に列指名で答えさせようとしていた。

列指名の場合,戸惑って何も言わない子もいる。

有田先生はそんな子に対し

パスですか?言わなきゃダメですよ。いま考え中とか。 

と言って発言を求めている。どの子にも発言させようという意図が見て取れる。

 

C わかった。食料の消費量。

T ん?それは題に書いてあるね。そうですよ。

 食料の消費量の移り変わりと書いていあるね。

 わかったのはじめて。

 すごいねー。あなたは天才ですよ。 

答えた子は,何でもない,資料に書かれているタイトルを読んだだけだが,そのタイトル読みこそが最初に重要。有田先生はこの子を手放しでほめちぎっている。

 

T みんなで読んでみよう。(「食料の消費量の移り変わり」と読む)

  移り変わりって何でしょう?

C 変わっていくこと

 有田先生は「移り変わり」という言葉に着目させている。

お気付きだろうが,有田先生はまだタイトルのことしか読ませておらず,グラフの内容の読み取りにははいっていない。前段階としてのタイトル読みをしっかり意識させ,このグラフが何について表しているの全員がつかんでから,内容に入っていくという構成だった。

このような流れは,現在スタンダードになりつつある「授業のUD(ユニバーサルデザイン)化」にも通じるものがある。

 

 

次は,資料の読み取りに入った後の場面。

T 33年間で340g増えたわけですが,このおよそ33年間でたくさん食べるようになった種類は何でしょう? 

 隣の人と相談してもいいですから,ノートに書いてください。(机間巡視)

T 書き終わった人いますかね?

 お,早いね。いま3人。

 その3人ね,ノートに赤鉛筆で「はやい」と書いてください。

 この場面から有田先生の授業観が伺える。

2点。

 

一点目は,ノートに書かせる場面は厳選していること。

この授業で「ノートに書いて」という指示はここで初めて出てきた。

私達教師は,往々にして板書に書きすぎる。その結果,子どもにもノートにたくさん書くよう求めることになる。

しかし,有田先生は本当に考えさせたいところで書かせている。

しかも,相談してもよいと言って,考えが出てこない子に対する救済策も取っている。

このあたりも非常にUD的だ。その言葉が流行る20年以上前の授業なのだが。

 

二点目は,素早くノートを取ることを価値付けている点だ。

「ノートに赤鉛筆で『はやい』と書いて」というユーモラスな指示から伺える。

有田先生の有名な指示に

「鉛筆の先から煙が出るような速さで書きなさい」

という言葉がある。

素早く書くことは,リズム感がありメリハリのある授業を生む。

遅い子に対しては「青鉛筆で『のろい』と書きなさい」という指示を出しているのも,くすっと笑えるポイントだ。遅い子もせめずに,でも次から頑張ろうと思わせるような言葉かけだ。

 

「優れた教師は,積み上げ,磨き上げてきた授業技術をまるで人柄のように見せることができる」

と,いつか読んだ本に書いてあった。

 

有田先生はまさにそのお手本なのだと思う。

ユーモラスな言葉かけも実は考え抜かれた一言なのだ。

共通して言えることは,子どもを鍛えようとしていること,前向きな気持で学ばせようとしていること。


資料の読ませ方,発問の仕方一つで子どもの学びも変わってくる。


どのように教材を活用するか,思案のしどころだ。

連休のうちに,どのようなアプローチでいくか,子どもをどのように授業に乗せていくのか,アイデアを書き出しておきたい。


 

2008年夏,苗場に二度登場したPrimal Screamのステージにみた”Beatiful Future"~2日目~

ここ数日,iPhoneのイヤホンからPrimal Screamの「Give Out But Don`t Give Up」が流れ続けている。

商業的に成功したアルバムではあるが,彼らの歴史の上ではそこまで評価が高くないアルバムだ。個人的には,わりと好きなのだが。

「Rocks」「Call on me」はとてもゴキゲンだし,「I`ll Be There For You」はシリアスに聴かせるナンバーだ。

 

彼らのライブ前に一番聴き込んだのも,このアルバムだった。

 

彼らのライブは三度観た。

最初は,2006年。Zeppでのワンマン。

二度目は,2008年。フジロック2日目のトリ前。

三度目が,2008年。同じくフジロック3日目のトリだ。

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最初にZeppで観た記憶は朧気だ。


Primal Screamを好きな友人がいて,その友人と一緒に観に行った。この年は有名どころがよく日本に来ていた。

同じ年にカサビアンZeppに来たので観に行った。


初めて観たプライマルは,いいのか悪いのかよく分からなかった。アルバムも2,3枚しか持っておらず,知らない曲も多かった。

ただベースのマニがよく喋っていたのは覚えている。

マニはThe Stone Rosesの元メンバーで,この時期はプライマルに所属していた。


二度目は2年後のフジロック

このときには彼らのアルバムは全て揃えていた。

結構コアなファンになっていた自覚はあったし,この年に一人でフジロックに行こうと決めたのも,プライマルが出るのが決まっていたからだ。


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2008年のフジロック0日目,1日目は当ブログで紹介した通りだ。


そして2日目,私はついに念願だったPrimal Scceamのライブを体験する。


モッシュピットで跳ね飛んだ。

全身汗だくになって踊った。


ステージ上のボーカル,ボビー・ギレスピー幾何学模様のネルシャツに黒いパンツスタイルで,例の粘っこい声で歌い,軽やかに踊った。

ギターのアンドリュー・イネスは麦わら風のハットを目深に被り,時折ベースのマニと掛け合いながら,黙々とプレーしていた。


アンコールでかかったのは「Country Girl」だった。

私がプライマルにのめり込むきっかけをつくった2006年のアルバム「Riot City Blues」のスタートを飾る,疾走感溢れるロックチューン。

狭いモッシュピットの中で大勢の人波に揉まれながら,懸命に飛び跳ねた。



ライブがハネた後,私はグリーンステージの芝の上に寝転がっていた。

ステージでは既に,二日目のトリであるUnderworldの演奏が始まっていた。

当時の最新作「Oblivion with Bells」の内省的なフレーズがズシン,ズシンと腹に迫ってくる。


短パンの右ポケットがスースーする。

ハッカを噛んだときの,あの感じ。

ポケットからセブンスターのメンソールを取り出し,口に咥えた。少し曲がっているが,問題はないだろう。


バーナーのライターで火を点ける。

風のある屋外ではこれが一番便利だ。

ただ,味はイマイチ。

普段は,マッチの火を使っていた。

煙草はマッチで点けた火が一番旨い。

不思議と最後まで木の香ばしい香りが残る。


サーチライトが蠢めく空に,煙を吹きかけた。


ふと,写真を撮ることを思いついた。

フジロックに来てPrimal Screamのライブを観た。

その記念を残しておきたい。


私はデジカメを取り出して,ステージをバックに自撮りを試みた。しかし,ステージライトのせいでなかなか上手く撮れない。

苦戦しつつ,何回かやってみたが難しい。


諦めようとしたとき


「写真撮ろうか?」


突然,横から声がした。

振り向くと,いつの間にか隣に男が立っていた。


ベージュのキャップに,緑色のパーカを羽織った男。

少し年上に見えたので,30歳くらいだろうか。

周りが暗かったのと,キャップを深く被っていたので表情は読み取れなかったが,悪い男ではなさそうだった。


「すいません,お願いしていいですか?」


私が頼むと,彼はカメラを構え,光の当たり方を見ながら,素早くシャッターを押した。

確認のために見せてもらうと,ステージをバックに,真っ黒に日焼けした私がにやついて写っている。

フラッシュに反射して,ベタついた肌は乳白色の鈍い光を放っていた。


私が礼を言うと,彼は立ち去るでもなく,その場に腰掛けて煙草に火を点けた。

私も隣に腰を下ろし,ポケットからセブンスターを取り出した。


二人で無言のまま,Underworldのステージを見つめていた。


「ここに来てる人みんな,最後のあの曲を聴きに来たんだろうね。」

キャップの男が呟いた。

目はじっとステージに注がれている。

ステージでは,ピカピカのジャケットを着たフロントマンのカール・ハイドが,呪文の様に一定のフレーズを刻み続けていた。


「あの曲」というのが,Underworldのキラーチューン,「Born Slippy」であろうことはすぐに分かった。


「あれさえ聴ければって感じだろうね。君はいかなくていいの?」


彼は初めて私の方を向いた。

人懐こい笑顔だ。


「僕は,プライマルスクリームが好きで,さっき前で騒いできたんです。もう出し尽くしましたよ。」


私が言うと,彼はまたステージに視線を戻し,


「プライマルか。アイドルだね。」

と遠い目をして呟いた。


それから結構長いあいだ,二人で話した。

時間にして,30分くらいだろうか。

初対面だが,さほど居心地の悪さは感じなかった。


会話が途切れると,彼は

「ちょっと,トイレ行ってくるわ。」

と言って立ち上がった。

「また戻ってくる。」

と手を振り,オアシスエリアの方へ歩いて行った。


そして,戻って来なかった。



Primal Screamを二度目に観た夜,思い出すのはそんな記憶だ。


汗だくで,べたべたしたTシャツの感触。

ひやりとしたメンソールの煙草の味。

キャップの男と座って話した,グリーンステージの芝生の上。


フジロックは楽しい。

苗場は魅力的な場所だ。


言葉にしてみれば,それだけのことだが,その後ろ側には,こんな他愛もない記憶が積み重なっている。

そんな一つ一つの記憶がなければ,人生はよほど味気ないものになるだろう・・・と書いたのは村上春樹だったか。


私も同感だ。

正確に言うと,最近そう思うようになった。


最後に苗場の地を踏んだのが2016年。

離れている期間が長くなるほど,記憶はより鮮明さを増してくるようだ。



さて。

キャップの男を30分待ち続けだが,帰ってこないと悟った私は,キャンプサイトに戻ることにした。

「Born Slippy」を聴きたいとも思ったが,あのキラーチューンが終わってからだと,また混雑するだろうと予測された。

私はともかく,べたついた体から汗を流してすっきりしたかった。


キャンプサイトの横に「苗場の湯」がある。

ヘッドライナーが演っている時間は比較的空いていた。空いていると言っても,行列に40分ほど並んだが。


それでも久々にシャワーを浴びることができた。

私は水を被りながら,さっきの男はなぜ私と話をしていったのだろうかと考えた。

ただ話し相手が欲しかっただけか?

一人の時間が長くなれば,誰かと関わりたくなる気持ちもわかる気がする。


「苗場の湯」を出て,キャンプサイトに戻るときに,グリーンステージから歓声が聞こえた。

「あの曲」が始まったようだ。


私はほのかな後悔を感じつつ

「明日もまたプライマルのステージを観に行こう」 と思った。


オンライン授業が現実味を帯びてきた

コロナの感染拡大が止まらない。

個人的には昨年の今頃のように休校状態に戻るのは非常に不本意なのではあるが,その可能性も視野に入れないといけない状況になりつつある。


もし休校になれば,オンライン授業になる。

ビデオ撮りをしての録画配信,classroomを使ってのライブ配信どちらも経験したが,正直言って準備にかける労力に比すると得られる教育効果は薄いようだ。

勿論,まだ手探りな面も多くこれから改善の余地はあるし,その分伸び代も大きいのだが。


オンライン授業を想定して,昨年の経験から得たポイントを整理してみる。


①オンラインだからこそ,本物にこだわる

昨年,所属自治体で授業動画を作成した。

私は社会科四年生を担当した。

四年生の社会科は自分たちが住む県についての学習が主になる。

学習する場面が,県内の地形と特産物の様子を調べるところだったので,事前にスーパーで地元産の野菜や特産物を買い求めた。

授業の中で地図でその地域の地形を確認し,その場所でとれる野菜,特産物を実際に手に持って大写しにし,見せていった。

スクリーンに画像を映し出すというやり方もあるし,その方が簡単ではあるが,オンラインだからこそ,本物に触れさせたかった。


②表情豊かに語りかける

オンラインの場合,ライブの授業と比べるとどうしても,教室の雰囲気を感じ取りづらい。

教師が微妙なニュアンスで語りかけても,教室では伝わったことが,オンラインだと伝わらないことも多い。

オンライン授業では,より表情豊かに,リアクション豊かに話をする必要があるのだ。

私がオンライン授業をするにあたって,一番参考にしているのは「ネプリーグ」などに出演している人気予備校講師・村瀬哲史先生だ。

村瀬先生はともかく,語り口が軽妙で,思わず身を乗り出して聞き入りたくなるような話術をもっている。

表情もいつもにこやかだ。

短い出演時間にも関わらず,彼の話す社会科豆知識は観る者の心を捉えて離さない。

観る人や聴く人がわくわくするような話し方,表情で授業するには,意識するだけでなく練習も必要だ。

一度鏡の前で練習してみるのもいい。初めは恥ずかしいが慣れてくると,自分がいかに無表情で授業していたかに気づき,改善点が見えてくる。


③ミスをなくす

当たり前だが,漢字の書き時などに気をつける。

ライブでもあってはならないが,オンラインや録画の場合は後に残ることもある。

事前に板書する内容をしっかりチェックして,対策を練っておくべきだ。



他にもいろいろとあるが,ライブ授業と通じるところも多いなあと整理しながら思った。

ただ,技術的な面で不具合が起きるケースもあるので,事前に起こりうる不具合を想定して対処方法を考えておくのがベターだ。


休校にはなってほしくないが,十分可能性としては想定されること。

昨年と違って一人一台端末などの環境整理はされているので,後はどう生かすか,今のうちから具体的に考えていきたいところです。